2024年4月から始まった、NHK連続テレビ小説『虎に翼』。
日本初の女性弁護士で、裁判官を務めた、三淵嘉子さんをモデルにした、オリジナルストーリー。
女性に裁判官になることが、認められていなかった、困難な時代に、法曹界の道を切り開いていくという、リーガルエンターテイメントです。
第14週からは、岡田将生さんが、新たに登場されます。
岡田さんが、どういった役で、また、モデルとなる人物について、調べました。
岡田さんは、「星航一」という、裁判官として、登場されます。
そして、「星航一」には、史実のモデルがいました。
主人公・寅子のモデルである、三淵嘉子さんの夫である、「三淵乾太郎」さんです。
ということは、きっと、物語の最後まで登場することになる、重要人物ですね。
では、岡田さんが、どのように登場し、寅子とどのようなかかわりをするのか、詳しく見ていきましょう。
物語を、大きく左右する人物になるので、予習・復習したい方、必見!!
ぜひ、最後まで読んでください!!
\この記事からわかること/
★『虎に翼』 星航一さんとは? ★『虎に翼』 モデルとなった、三淵乾太郎さんの経歴 ★『虎に翼』 三淵夫妻、二人の出会いと、結婚生活
『虎に翼』の星航一さんとは?
寅子は、家庭裁判所を設立させ、家庭裁判所判事補という、重要な仕事を、任されたり、ラジオ出演をしたりと、大忙し。
そんな寅子の前に、岡田将生さん演じる、星航一という人物が、登場します。
相変わらず、イケメンの岡田さんですね。
さて、星航一とは、どんな人物なのでしょうか?
星航一は、裁判官で、横浜地裁で判事を務めているとのこと。
病気で、奥さんを亡くされていて、残された子どもを育ています。
星航一は、第10週目から、ちょくちょく出演している、平田満さん演じる、初代最高裁判所長官の、「星朋彦」の息子。
温和な性格だけど、笑顔の奥の本心は誰にもわからないとのことですが、父親が法曹界のトップともなれば、葛藤や重圧があったのかもしれませんね。
そういえば、桂場さんも、本心がわからないお方でした…
寅子が、星朋彦の、本の改稿作業を手伝うために、長官室を訪ね、そこで出会ったのが、星航一さんです。
そして、星航一は、三淵乾太郎(みふちけんたろう)さんという人物が、モデルとなっています。
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『虎に翼』の星航一のモデル・三淵乾太郎とは?
星航一のモデルは、「三淵乾太郎」さん。
乾太郎とかいて、けんたろうとお読みします。
三淵乾太郎さんは、1906年、初代最高裁判長官、三淵忠彦さんの長男としてお生まれになりました。
三淵乾太郎さんの経歴はこちら↓↓↓
1906年(明治39年) 最高裁初代長官・三淵忠彦の長男として、福島県会津若松市 にて、生まれる
1931年(昭和6年) 東京帝国大学法学部卒し、司法省に入省
その後、東京地方裁判所の予審判事、東京民事地方裁判所判事、戦後は、高等裁判所裁判官、最高裁判所調査官、甲府地方裁判所長、浦和地方裁判所所長などを務め、1944年には、領事として北京にも滞在。
実は、ライアンこと、久藤頼安(沢村一樹)のモデルである、内藤頼安さんと、「さつき会」なるものを結成し、行政の介入問題、判事の職務内容見直しなど、行政の司法への介入に対し、異を唱える活動も行っていました。
プライベートでは、生沼(おいぬま)祥子さんと結婚して、4児を儲けますが、1955年に死別し、1956年に、三淵嘉子さんと入籍。
実弟の萱野章次郎さんは、千代田生命保険(現・ジブラルタル生命保険)の社長、親戚にも官僚や裁判官などが、たくさんいる一族でした。
『虎に翼』の三淵乾太郎さんと嘉子さんの出会い
嘉子さんの明治大学の恩師で、島田先生という方が、父・三淵忠彦さんと交友関係で、島田先生から、嘉子さんの評判を聞いた、忠彦さんは、嘉子さんと会ってみたいと、思われたそうです。
嘉子さんは、忠彦さんの著書の改訂作業に、携わります。
ドラマでは、星航一さんも、改稿作業を一緒にしていますが、実際には、乾太郎さんは改稿作業には携わっていないようです。
この時に、忠彦さんの奥様・静さんが、嘉子さんを気に入られました。
1950年(昭和25年)に、嘉子さんはアメリカ滞在中に、乾太郎さんの父・三淵忠彦さんの訃報を受け、帰国後、嘉子さんは、三淵家へ弔問に向かい、その時、三淵家にて初めて乾太郎さんと出会いました。
1955年(昭和30年)に、三淵乾太郎さんは、妻の祥子さんと死別。
そして、かねてから、嘉子さんのことを気に入っていた、母の静さんが、ぜひ、息子の嫁にと希望し、なんと、2人の共通の知人である、内藤さんが、二人を結び付けたそうです。
そういえば、ドラマで、星朋彦さん著書の改稿作業を、寅子に依頼していたのは、ライアン。
直接的な紹介ではありませんでしたが、二人が出会ったきっかけは、ライアンさんですね。
そして、1年後の1956年(昭和31年)、めでたく、乾太郎さんと嘉子さんはご結婚されました。
乾太郎さん50歳、嘉子さん41歳、お互い再婚同士でした。
乾太郎さんは、とてもスラっとしたスタイルと穏やかさで、女性職員の憧れの的だったみたいですよ。
そんなところが、岡田将生さんにぴったり!!
当初、紹介した内藤さんに、「三淵さんが、僕と一緒になってくれるはずがない」と笑いながら、答えていたそうです。
それでも、仕事終わりには、乾太郎さんが好きな、ドイツ音楽などの話をしながら、嘉子さんを、家まで送っていたそうです。
『虎に翼』のモデルとなった三淵夫妻の結婚後
お互い子連れ同士の再婚なので、乾太郎さん4人+嘉子さん1名、合わせて、5名の子どもとなりました。
★三淵那珂
★三淵奈都
★三淵麻都
★三淵力
★和田芳武
和田芳夫は、嘉子さんの一人息子。
実は、結婚した当初、嘉子さんと、乾太郎さんの子どもたち、特に気が強い長女とは、何度も衝突したそうです。
後年、長女は「母とは思ったことはない。父の連れ合いだ」と語ったとか。
自分の考えを曲げない嘉子さんVS姉弟を守りたい一心の長女
乾太郎さんは2人の間に立ち、まあまあと言って、なだめることが多かったようです。
一方、乾太郎さんと和田芳武さんは、仲が悪かったわけではないようですが、芳武さんは、三淵姓に変えることは、なかったといいます。
お父さんへの、想いがあったのでしょう。
嘉子さんは、乾太郎さんとの再婚について、「緊張した心がようやく解き放された」と語っており、両親や夫を亡くし、家族を食べさせていくために、家計を支え続けた嘉子さんからは、ようやくパートナーを得た、安心感が伝わってきますよね。
ともに、裁判官だった2人は、地方への転勤も多く、離れて暮らすことも多かったそうですが、毎日電話で話をし、コミュニケーションを取っていたみたいです。
その他、休日には、小田原市にある、三淵家の別邸、「甘柑荘」で過ごしたり、退官後は、2人でゴルフや、フランス・中国・デンマークなどへ、旅行を楽しむなど、仲良く過ごしていたようですよ。
現在、「甘柑荘」は、期間限定で、一般公開されているので、ご興味のある方は、ぜひ、訪ねてみてくださいね!!
甘柑荘はこちら↓↓↓
所在地:小田原市板橋822
公開日:令和6年4月28日~令和7年3月30日のうち、毎週金曜日・日曜日
庭には、柑橘類が植えられ、嘉子さんは、ここで女子部のみんなと、一緒に暮らす計画まで、立てていたそうです。
この計画、ドラマで、実現してほしいですね~。
そして、嘉子さんのお墓は、「甘柑荘」裏にある、霊寿院と、丸亀市の本行寺にある、前夫・和田芳夫の墓に、分骨してあります。
前夫・和田さんへの愛も、ずっと持ち続けていたのですね!!
よかったね!優三さん!
『虎に翼』の星航一のまとめ
第14週から登場した、星航一。
優三さんと死別し、悲しみのどん底にいながらも、家族を養うために、必死に働いてきた、寅子。
最初の夫、和田との死別後、奮闘していた嘉子さんも、ようやく安心できるパートナーを見つけました。
お互い、忙しい仕事や、子育てに苦労しながらも、心から安心できるパートナーと、充実した時間を過ごした、三淵夫妻。
きっと、誰もが羨む、ステキなご夫婦だったのでしょう。
ドラマの星航一も、最後まで登場していくことになりそうです。
『虎に翼』、ますます、目が離せなくなりますね!!
今回は、寅子のパートナーとなる、星航一のモデル・三淵乾太郎さんと、三淵夫妻の馴れ初め&結婚生活について、調べてみました。
最後まで、読んでいただき、ありがとうございました。
では、また~(^_-)-☆
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