『虎に翼』の佐田優三のモデルとなった嘉子の夫・和田芳夫の経歴や嘉子との結婚秘話!

モデル

NHK連続テレビ小説『虎に翼』

日本初の女性弁護士で、裁判官を務めた、三淵嘉子さんをモデルにした、オリジナルストーリー。

困難な時代に、まだ、女性に認められていなかった、法曹界の道を切り開いていくという、リーガルエンターテイメントです。

放送開始後も、右肩上がりで好調な視聴率です

今回は、寅子と結婚した、佐田優三さんのモデルとなった、実在の和田芳夫さんについて、調べてみました。

和田さんも、実際に三淵さんの家に出入りしていた、書生の方でした。

また、寅子と優三さんは、「世間体」のための、結婚でしたが、実際の和田さんと三淵さんの結婚にも、秘話がありました。

では、詳しく見ていきましょう。

ぜひ、最後まで読んでくださいね!

 

この記事からわかること

・「虎に翼」の佐田優三さんってどんな人?

・「虎に翼」の三淵さんの結婚相手の、和田芳夫さんてどんな人?

・「虎に翼」の三淵さんと和田さんの結婚秘話

・「虎に翼」の結婚後の三淵さんと和田さんの生活

『虎に翼』の佐田優三(仲野大賀)ってどんなひと?

仲野大賀さん演じる、佐田優三。

高等試験に、何度も挑戦と失敗を繰り返しますが、とても誠実で、いつもニコニコの笑顔。

頭を下げれば、机に頭をぶつけたり、寅子や花江ちゃんに、着替えを見られた時には、ズボンに足が取られて、転倒に次ぐ転倒…SNSでは、「みごとなズボン芸」とまで、評されました。

イマイチ、頼りない感じですが、非常に好感度の高い、青年ですね。

緊張したら、お腹を下すという、弱みもありますが…

「とらちゃん」、「優三さん」とお互いに呼び合い、寅子は、進学や勉強のことを相談する相手として、優三さんは、猪爪家の一員として馴染み、お互いに、心を許す関係の間柄です。

優三さんは、両親を早くに亡くしたため、猪爪家に書生として住んでいました。

書生とは…

主に、明治・大正期に、他人の家に住み込みで雑用等を任される、学生をさします。

1872年に学制がしかれると、地方から都会に出向き、高等学校や大学へ通う学生が現れました。しかし、当時は今のように、単身者が居住するような家は少なく、また、家事にも不慣れな若者が多かったため、人の家の一室を間借りして、食費・家賃を支払い、下宿していました。

優三さんも、そんな学生の一人。

書生は、雑用がすぐにこなせるよう、玄関や電話室の、すぐ近くの部屋を用意されることが多っかたようで、猪爪家のもともと物置として使われていた、玄関に近く、電話室の横のスペースが、優三さんの部屋という設定です。

優三さんの部屋の横には、階段があり、よくそこに寅子が座り、優三さんと話をしていました。

そして、念願の弁護士になったものの、独身の身では、思うように仕事ができず、社会的地位を手に入れるため寅子は結婚を決意します。

その噂を聞いた、優三さんは、自ら名乗りを上げました。

優三さん自身も、一人前の社会人として認められるように結婚を望んでいました…

が、ほんとは、寅ちゃんのことが昔から好きだったんですね

寅ちゃんも、結婚してからですが、優三さんに心を癒され、恋に落ち、二人の幸せはずっと続くと思われました。

しかし、お子さんも産まれ、幸せ絶頂のさなか、優三さんに赤紙が届き、戦地へと向かってしまいました。

出征当日、娘の優未を抱きしめる優三さん、猪爪家の人々に見送られて出征していく姿、寅子のヘン顔をしながらの見送り…

いつも、笑わせてくれる優三さんだけにほんと、涙涙の1シーンでした

 

『虎に翼』の佐田優三のモデル・和田芳夫さん

そんな優三さんには、実在するモデルがいました。

三淵さんのご実家は、「武藤家」。

その武藤家に、書生として住まわれていた、和田芳夫さんがモデルです。

和田芳夫さんは、嘉子さんの父・武藤貞雄さんの、地元である、香川県丸亀市の出身で、貞雄さんの、丸亀中学時代からの同級生の親戚です

ドラマでは、猪爪家に住む書生は、優三さん一人ですが、実際には和田さん以外にも、同郷の書生が、入れ替わりながら、3人ほどいたようです

和田さんも、苦労して明治大学夜間部を卒業し、その後は貞雄さんが関係する会社(東洋モスリン)に就職し、家を出て独立をしていましたが、たまに武藤家に、遊びに来ていたようです。

実際の和田さんも、努力家でとても優しく、武藤家の人々からも、好人物として、気に入られていたようです。

ドラマと同じく、武藤家で、三淵さんと同じ屋根の下で生活をし、お互い、心許せる相手だったと思います。

果たして、そんなお二人は、恋愛結婚?なのか、それとも本当に「世間体」のための、結婚だったか、気になりますよね

 

 

『虎に翼』のモデル・和田さんと三淵さんの結婚秘話

ドラマでは、寅子は「弁護士の仕事をこなしていくためには、結婚が必要!」との考えになり、両親に結婚相手を探してほしいと、頭をさげます。

あくまでも、「仕事」のためです。

その噂を聞いた、優三さんが「僕でよければ…」と引き受けます。

実際にはどうだったのでしょうか?

武藤家の姉弟は、嘉子さん・一郎・輝彦・晟造・泰夫の5人兄弟で、そばで見ていた、四男の武藤泰夫(やすお)さんが、インタビューで、語っています。

当時、姉は弁護士になったから、嫁の行き先がないと親父やお袋が心配したのです。そこで親父が「お前誰か好きな人いるのかい、と聞いたら、姉が「和田さん(芳夫)がいい」と言ったのです。

姉から意外な名前が出たことに親父もお袋も驚きました。というのは、芳夫さんは書生の中でも一番おとなしくて静かだったからです。活発な姉とは正反対でした。それから東洋モスリンに勤めていた時は、肺を悪くして一年くらい療養していた時期があったようです。

姉から話を聞いた親父は、芳夫さんのところに行って「娘があなたのことを気に入っている。どうだ」と頼んだのだそうです。それで交際が始まりました。

清永聡『三淵嘉子と家庭裁判所』(日本評論社)より引用

 

ドラマとは逆でしたね。

でも、少なくとも、「仕事のため」や「世間体のため」だけの結婚ではなく、そこには二人の愛が、存在していました。

とても、ほほえましエピソードですね

 

『虎に翼』のモデル・和田さんと三淵さんの結婚後の生活

お二人が結婚したのは、1941年(昭和16年)のこと。

結婚してからは、東京・池袋に2人で住まわれ、共働きをしていました。

太平洋戦争が始まった、まさに、その年に結婚され、1943年には、ご長男の芳武さんが誕生し、その後はご実家に引っ越しされました。

そして、和田さんは、胸膜炎という病気のため、しばらくは、兵役は免れていましたが、とうとう、終戦間際に招集されてしまいます。

その後、嘉子さん母子と、弟・一郎さんの妻と娘の4人で、福島県会津坂下町に疎開しました。

その暮らしぶりは、とても大変で、ノミやシラミ、ナメクジもいるような、農家の納屋でむしろ(わらで作った敷物)を敷いたところで寝たり、荒れ地を耕し、食事にもことを欠くような、生活を強いられてようです。

そして、和田さんは、招集先の中国で発病し、1946年に帰国しますが、途中の永作の陸軍病院で、戦病死として、お亡くなりになられました。

せっかく、これから家族で幸せになれるというのに、とてもむごいことです…

 

『虎に翼』のモデル・和田芳夫さんのまとめ

お互いを想いあい、結婚した二人でしたが、わずか、5年間の結婚生活でした。

といっても、一緒に過ごせたのは、その内の3年ほどです。

せっかく、戦争も終わり、帰国していたにもかかわらず、戦病死され、家族とは引き裂かれました。

弟の泰夫さんによると、和田さんはとてもいい人で、まじめでおとなしく、でも言うべきことは、しっかり言うタイプのかたで、姉弟の中でも、一番しっかり者の嘉子さんが尻に敷くような関係ではなく、仲の良いご夫婦だったようです

こんなほほえましい、お二人を引き裂いた、戦争。

ほんとうに、戦争はむごいものだと、思わざるを得ません。

 

今回は、主人公・寅子の夫である優三さんのモデルとなった、和田芳夫さんについて、調べてみました。

実際の和田さんも、ドラマの優三さんのように、優しくてとてもいい人だとわかりました。

お二人の結末はとても悲しいですが…

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

今後も、実在モデルについて調べていきたいと思います。

では、また~(^^♪

 

 

 

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