NHK連続テレビ小説『虎に翼』
日本初の女性弁護士で、裁判官を務めた、三淵嘉子さんをモデルにした、オリジナルストーリー。
困難な時代に、まだ、女性に認められていなかった、法曹界の道を切り開いていくという、リーガルエンターテイメントです。
放送も、第10週を迎え、いよいよ、寅子は、法曹界で本格的に仕事を始めるといった、新たな展開となってきました。
今回は、寅子が戦後、弁護士の資格を活かし、仕事を再開した先で出会った、久藤頼安(くどうよりやす)のモデルとなった、内藤頼博さんについて、調べてみました。
内藤さんも、由緒あるお家柄で、アメリカの家庭裁判所を視察したことのある、とてもグローバルな方でした。
戦後に、これからの新しい日本を作っていく、憲法の下、寅子や久藤さんは、どのような活躍ぶりだったのでしょうか?
では、詳しく見ていきましょう。
ぜひ、最後まで読んでくださいね!
この記事からわかること
・寅に翼の久藤頼安さんって?
・モデルとなった、内藤頼博さんってどんな人?
・三淵さんと内藤頼博さんの関り
虎に翼の第10週からは法曹界が舞台
虎に翼の第10週からは、戦争も終わり、日本国憲法が公布され、日本も新しい時代へ向けて動き出すところから、始まります。
寅子は、戦争前に、弁護士資格を取得したものの、女性であることや、結婚や出産、戦争などによって、思うような仕事ができなかったけど、生活のため、去っていった仲間のため、自分自身の人生のため、もう一度、法曹界で生きていく決心をしました。
戦後は、猪爪の人々も、お父さんの直言さんが病で、お兄さんの直道さん、夫の佐田優三までもが戦争で帰らぬ人となり、家も失い、家族全員が失意のどん底でした。
しかし、寅子は、そんな家族のため、しまい込んでいた、法律の本を取り出し、法曹会館へ向かいます。
そして、司法省民事局・民法調査室主任の、沢村一樹さん演じる、裁判官・久藤頼安(くどうよりやす)に気に入られ、司法省で働くことになりました。
いよいよ、ドラマも、法曹界が舞台となってきました。
さて、寅子の上司となる、久藤頼安のモデルとなった人は、いたのでしょうか?
その、モデルとなった人物は、日本の家庭裁判所の誕生と基盤づくりに大きな功績を残した、内藤頼博さんのようです。
虎に翼の久藤頼安(くどうよりやす)のモデル・内藤頼博さん
ドラマの久藤頼安(くどうよりやす)は、裁判官で、現在は司法省に出向している、という設定。
旧久藤藩藩主の家柄のご出身で、戦争前には、アメリカへ裁判所や家庭裁判所を視察したという経歴です。
そのため、自分のことを「ライアンと呼んでね」とか、寅子のことを「サディー」と名付けたりと、とても人当たりがよく、フレンドリーな性格です。
ライアン…?
「頼安」を音読みすると、「ライアン」だからです。
アメリカに視察に行かれたという、キャラクターらしい発想ですね。
史実の、内藤頼博さんはどのような方だったのでしょうか?
生年月日・没:1908年3月12日~2000年12月5日
出身:東京府豊多摩群内藤新宿町
旧信州高遠藩主内藤子爵家の第15代当主
学歴:東京帝国大学法学部
職歴:東京家庭裁判所所長、広島高等裁判所長官、名古屋高等裁判所長官、弁護士、多摩美術大学学長、学習院院長
なかなか、すばらしい経歴の持ち主です。
旧藩主の家柄ゆえに、戦前は「殿様判事」とも呼ばれたようです。
現在の新宿区一帯が、かつての「内藤新宿」で、この内藤家が地名の由来にもなりました。
内藤頼博さんは、太平洋戦争前の、1940年32歳の時、司法省の命で、アメリカの家庭裁判所を視察されています。
その際に、ニューヨーク、ワシントン、シカゴなどのアメリカ主要都市も巡り、アメリカの文化にも触れ、先進的で市民からも信頼が厚い、家庭裁判所の仕組みを学ばれました。
涼しい目元、鼻筋が通った面持ち、当時の日本人としては長身の175㎝、そして、なんといっても、優しい紳士だったので、女性職員からはモテモテだったそうです。
そんな様子は、演じている沢村一樹さんに、ぴったり当てはまります。
内藤頼博さんは、もともと戦前の日本の司法制度に疑問があったようで、司法の力は民衆のためにあると信じていました。
虎に翼のモデル・内藤さんと三淵さんの仕事
久藤さんのもとで働くことになった、寅子。
実際に、内藤さんと三淵さんは、司法省で、家庭裁判所の設立に関わっています。
それまでの日本は、男性中心の社会、女性や子供は弱い立場でしたが、日本国憲法に合わせて、女性や子供などの権利擁護を目的に、GHQの示唆で、家庭裁判所が設けられることになりました。
「家庭に光を、少年に愛を」をスローガンに、アメリカの家庭裁判所を視察した内藤さんや、男女差別に疑問に持つ三淵さんたちは、弱い立場の女性や子供のために、家庭裁判所の設立に、取り組まれました。
最初は、庁舎もなく、電話も参考書も自転車もなく、大変な状況からのスタートだったようです。
1949年1月1日に、家庭裁判所が設けられ、その年の5月から半年間、三淵さんもアメリカに家庭裁判所の視察に行かれています。
三淵さんは、当時を振り返り、「仕事の上で、女性であるために不愉快な思いをしたことは、一度もなかった。むしろ、一生懸命に教育してくださった」と、感謝の気持ちを持たれていたようで、家庭裁判所の設立に向け、自由で先進的な考えを持つ、内藤さんとはお互いを尊重できる、仕事仲間だったのではないでしょうか。
また、三淵さんの再婚相手の、三淵乾太郎さんを引き合わせたのも、内藤さんだったとされています。
虎に翼の久藤頼安のモデル・内藤頼博さんまとめ
新たな、展開を迎える、第10週からの「虎に翼」。
前半は、寅子が家族や友人と関り、どのように成長していくのかをメインに描かれましたが、舞台は司法の場に変わり、新たな仲間たちと日本を変えていく、という重要な場面となっていきます。
そんな、新たな舞台で、寅子のこれからの人生に影響する、人物の一人が、ライアンこと、久藤頼安さん。
そのモデルとなった、内藤頼博さんは、旧藩主という家柄に生まれながらも、国民、それも弱き立場の、女性や子供たちに救いの手を差し伸べた方でした。
内藤さんは、家庭裁判所を設立後も、広島高等裁判所長官、横浜・東京家庭裁判所、名古屋高等裁判所長官などを歴任し、退官後はなおも、弁護士としても活躍されていました。
このような経歴は、寅子のモデル・三淵さんの経歴とも似ていますので、きっとお二人は、同じ志を持つ同志として、いい影響を与え合っていたのではないでしょうか?
内藤さんは、幅広いジャンルの方々ともお付き合いがあり、また、戦前という時代に、アメリカに視察に行かれたことなどをみると、とても柔軟なお考えをお持ちのようです。
三淵さんが、当時の職場の雰囲気を語られていたように、男女差別なく、仕事ができたという背景には、このような柔軟な考えをもった方がいらっしゃったからだと思います。
ドラマはこれから、戦後復興とともに、新しい時代へと歩む様子が描かれます。
登場人物も、多彩な方々が登場するようですので、楽しみですね。
また、登場人物の史実のモデルについて、調べていきたいと思います。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
では、また~(^^♪
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